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東京地方裁判所 平成4年(ワ)2074号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月二七日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の発行する新聞に掲載された記事が原告の名誉を毀損し、その結果、原告が損害を被ったとして、不法行為に基づいて損害の賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、現在、その妻一美に対する殺人被告事件等の刑事被告人として勾留中であって無罪の主張をしている者であり、被告は、新聞の発行等を目的とする会社で、日刊紙「日刊スポーツ」を発行しているものである。

2  右事件については、いわゆる「ロス疑惑」として、テレビ、新聞、週刊誌等で多くの報道がなされた。

3  被告は、右日刊スポーツの昭和六〇年一〇月二七日付け紙面に、左記の①ないし③を含む原告に対する取調状況等に関する記事(本件記事)を掲載し、右日刊紙を頒布した。

①「三浦調書は白紙状態」とのタイトル

②「幼児的手段―たとえばオシッコとか―で対抗 手を焼いた捜査官」、「殴打の部屋で偽装やった」、「一美さんの血を床に塗る」とのサブタイトル

③「追いつめられると、よく泣き出した」、「取り調べ中に小水をたれ流し、取調官が慌てて服や下着を替えてやるなんていう場面があったことが考えられる。」、「荒木虎美以来のワル」との本文記述部分

二  争点

1  本件記事は原告の名誉を毀損するか

2  本件記事の内容である事実は真実か、あるいは被告がこれを真実であると信ずるにつき相当の理由があったか

3  原告の本件請求権は時効により消滅しているか

三  争点に関する当事者の主張

1  争点1(本件記事は原告の名誉を毀損するか)について

(一) 原告の主張

本件記事に掲載された事実は、虚偽の事実であり、原告を中傷、誹謗するような内容を記述し、単に容疑をかけられ逮捕されただけの原告に対して、原告が真犯人であるとの印象を一般読者に強烈に与えたもので、しかも「千鶴子さんにも億単位の保険金」とのサブタイトルも付し、千鶴子に対する殺人事件にも原告が深く関与していると誤解させるなどその違法性は高く、本件記事は原告を侮辱すると同時に原告の名誉を著しく毀損するものである。

(二) 被告の主張

原告の主張は否認し争う。

2  争点2(本件記事の内容である事実は真実か、あるいは被告がこれを真実であると信ずるにつき相当の理由があったか)について

(一) 被告の主張

本件記事は、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的で、真実を書いたものであり、仮に真実でなかったとしても、真実であると信ずるにつき相当の理由があったから、本件記事が原告の名誉を毀損したとしても、違法性が阻却され、被告は損害賠償の責任を負わない。すなわち、被告は、被告の記者が警視庁記者クラブに所属している他社のいわゆる「サツ廻り」担当の記者から聞き出した事実及び昭和六〇年九月一二日付毎日新聞(乙一)、同月一三日付朝日新聞(乙二)、同年一〇月四日付読売新聞(乙三の一及び二)の各新聞記事によって本件記事を掲載したもので、その内容は真実であり、そうでないとしても、被告が真実であると信ずるにつき相当の理由があった。

(二) 原告の主張

本件記事に記載された事実は真実ではない。

被告が、本件記事の内容たる事実が真実であると信ずるにつき相当の理由があったとする根拠として挙げている「サツ廻り」担当記者から聞き出した事実は伝聞に過ぎず裏付け取材もしていないのであるから相当の理由があるとはいえず、また、右各新聞記事があるからといって、その内容が真実であることを証明するものではなく、その記事内容も本件記事中の原告の動静を伝えるものではなく、これらは相当の理由を証するものではない。

3  争点3(原告の本件請求権は時効により消滅しているか)について

(一) 被告の主張

原告は、昭和六〇年一〇月二七日当時、東京拘置所において日刊スポーツを定期講読しており、本件記事をその発行の日である昭和六〇年一〇月二七日に読み、その記事が原告の名誉を毀損するものであることを知っていたものである。したがって、それより三年後の昭和六三年一〇月二六日の経過により、原告の損害賠償請求権につき消滅時効が完成しており、被告は、平成四年四月二〇日付けの準備書面をもってこれを援用する(同準備書面は、同月二七日、原告に到達した)。

(二) 原告の主張

原告が、その妻らの差し入れにより、日刊スポーツを時折読んでいたことはあるが、昭和六〇年一〇月二七日に本件記事を目にしたことはない。本件記事を初めて読んだのは、平成四年一月初めであるから、それから三年は経過しておらず、消滅時効はまだ完成していない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件記事は原告の名誉を毀損するか)について

本件記事は、前記各部分を含むことにより、全体としてみれば、一般読者の通常の注意と読み方を基準としてみると、これら読者に対し、犯罪容疑を受けているに過ぎない状況下において原告が前記一美に対する殺人事件の真犯人であるとの印象を抱かせ、しかも、原告を侮辱する内容のものであって、このような記事は原告に対する社会的評価を低下させ、名誉感情を侵害する違法なものといわざるを得ない。

二  争点2(本件記事の内容である事実は真実か、あるいは被告がこれを真実であると信ずるにつき相当の理由があったか)について

第一に、被告の記者が「サツ廻り」の担当記者から聞いたとの点は、どのような事実を聞いたのかを証する証拠は全くなく、仮に、被告の記者が本件記事の内容と合致する事実を聞いていたとしても、それだけで本件記事の内容が真実であるということができないことはもちろんである。また、「サツ廻り」の記者からの伝聞は取材の端緒とはなりえても、被告においてその内容が真実であるかどうか可能な限りの裏付け取材を尽くさない限り、真実であると信ずるにつき相当の理由があるとはいえないところ、被告がかかる裏付け取材を行ったとの主張立証はないから、被告が本件記事の内容たる事実を真実と信じるについての相当の理由になり得ないものである。

第二に、前記各新聞記事(乙一、二、及び三の一)は、いずれも原告の逮捕、起訴、共犯者とされる者の供述などに関するものであり、原告の取調べ状況や原告が一美の血を床に塗ったかどうかなど本件記事中に摘示された前記事実について何ら言及するものではない。また、乙三の二の新聞記事は、原告の取調べ状況について言及しているものの、その内容は、原告が腰痛を訴えたこと、話題が家族のことなどに触れると涙も見せるようになった時期があったことなどであって、本件記事中に摘示された事実そのものについて報道しているものではない。したがって、これらの新聞記事は本件記事中に摘示された事実が真実であることを何ら証明するものではなく、これをもって被告が本件記事の内容である事実が真実であると信ずるにつき相当の理由があったと認めることもできない。

したがって、その余について判断するまでもなく、争点2に関する被告の主張は理由がない。

三  争点3(原告の本件請求権は時効により消滅しているか)について

1  定期講読に関する拘置所の取扱い

原告本人は、次のとおり供述する。すなわち、東京拘置所においては、被収容者による新聞の定期講読は、朝日新聞又は読売新聞のいずれか一紙しか認めておらず(この場合、被収容者は自ら申し込むことができる。)、本件記事が掲載された日刊スポーツについては、外部の面会者が東京拘置所指定の差し入れ業者に差し入れを申し込み、差し入れを申し込んだ期間、その業者が面会者に代行して、被収容者に毎日差し入れを行うという形態で、被収容者はこれを読むことができることになっている。ただ、差し入れを申し込む期間については、最大約一五ないし二〇日である。差し入れが途切れても、被収容者自ら差し入れ代行業者に差し入れを申し込むことはできない、と述べ(原告本人三〜五頁)、この供述内容に反する証拠はない。

そうだとすると、原告は、本件記事掲載当時、本件記事が掲載された日刊スポーツ紙を厳密な意味で定期講読していたとは認められないものの、差し入れの方法により、定期講読に近い形で継続して講読することは一般に可能であったと認められる。

2  原告の小田切記者への手紙

原告は、被告の文化社会部に勤務する訴外小田切記者に宛てた手紙の中で、「東拘では日刊スポーツを定期講読していました」(昭和六一年六月九日付け、乙五の二の一)、「ブルー日刊以外の新聞もすべて読んでますョ。友人が毎週一回、全新聞、全週刊誌のコピーを送ってくれていますので」(昭和六一年一一月一五日付け、乙六の二の一)と書いている。右1に述べたところ及び原告が同紙を定期講読していなかった旨を東京拘置所長が回答している(乙七)ところからみて、原告が同紙を定期講読していたということは考えられないが、右手紙の内容から判断すると、原告は定期講読に近い形で同紙の差し入れを受けていたものと考えざるを得ない。もっとも、このように考えると、原告が右手紙の中で、前述の文章(乙五の二の一)に続けて、「こちらへ来てからは、差入れじゃなければ駄目で」と述べていることが不合理であるようにも見えるが、原告に関して小田切記者が虚偽の記事を書かないように小田切記者を威嚇するために、「定期講読」していた旨誇張して述べたとの原告の弁明(原告本人二七〜三一頁)も排斥しきれないところである。

3  原告の妻の話を掲載した記事

被告は、昭和六〇年一〇月一六日、被告の記者が当原告の妻であった訴外三浦良枝に対しインタビューした際、同人から原告が東京拘置所内で朝日新聞と日刊スポーツ新聞を定期講読している旨を聞かされ、また、東京拘置所に物品を差し入れている業者からも原告が定期講読しているとの事実を被告記者が聞いており、原告は本件記事を発行の日に読んでいる旨を主張しているところ、昭和六〇年一〇月一七日発行の日刊スポーツには、原告の妻に取材した結果として、原告が「拘置所内で朝日新聞と日刊スポーツを定期講読しているそうで、ロス疑惑関連記事もカットされずに読めるという」との内容の記事が掲載されている(乙四)。前述したごとく、厳密な意味で日刊スポーツを定期講読していたとまでは認められないとしても、右記事は差し入れにより原告が本件記事を当時読んでいた可能性を示唆するものといえる。

4  当時の原告に対する差し入れの状況

原告が差し入れを受けていた状況について検討してみると、原告はつぎのとおり供述する。

(一) 原告が東京拘置所に収容されたのは、昭和六〇年一〇月五日であり、原告の妻が初めて面会に訪れたのは同月七日で、同日、同人は原告への日刊スポーツの差し入れを差し入れ代行業者に申し込んだ。ただ、原告の妻にとって、差し入れを行うことは初めてであったので、要領がよく分からず、五日間ないし一週間分しか差し入れの申し込みをしなかった。このような事態はしばらく続いた(原告本人六頁)。

(二) 他方、原告の妻が原告の面会に一〇日程度訪れなかったこともしばしばあり、その結果、差し入れ期間が終了してから原告の妻が次の面会に来るまでの日の数日間、原告への日刊スポーツの差し入れが途切れ、原告が同紙を読むことができないことが、昭和六〇年から六一年にかけて、何回もあった(原告本人三一頁)。

以上によれば、原告が日刊スポーツの差し入れを受けていたことは認められるが、具体的に昭和六〇年一〇月二七日付けの同紙の差し入れがあったことは肯定することも否定することもできない。

5  拘置所の回答

次に、被告代理人からの照会に対し、東京拘置所長中間敦夫は、原告が昭和六〇年一〇月九日から昭和六一年五月三一日までの間、日刊スポーツの差し入れを受けていたことがある旨の回答をしていること(乙七)が認められるものの、右回答は、原告が日刊スポーツの差し入れを毎日受けていた旨述べているものではないから、原告が昭和六〇年一〇月二七日、日刊スポーツの差し入れを受けている可能性を否定するものではない半面、その可能性を高める資料とすることはできない。

6  取り消し保管していない旨の供述

本件記事を原告が閲覧していた可能性について、原告は次のとおり供述している。日刊スポーツを読んでいて、刑事裁判上必要であると判断した記事や将来名誉毀損で提訴するために必要であると判断した記事については、当該記事について拘置所に切り取り所持願い及び合冊所持願いを出し、舎房に保管している。また、原告が外部から差し入れてもらった新聞記事のコピーについても同様に保管している(原告本人三四〜三八頁)。原告はこのようにして自分が読んだ記事のうち自身に関するものはほとんど保管してあり、また、もし本件記事のごとく取調中小水を垂れ流したというような記事を読んだとすれば、切り取り所持願いを出して保管しているはずであるが、原告が保管しているものの中に本件記事はない(原告本人三九、四七頁)。

7  当時の原告の健康状態

原告は、当時の健康状態につき次のとおり供述している。東京拘置所に収容される前、警視庁に勾留されていたが、警視庁勾留中から腰痛がひどく、いすに腰掛けられない状態であった。そして、警視庁から東京拘置所に移監された直後である本件記事掲載当時も依然腰痛がひどく、終日寝ていてかまわない旨の拘置所の許可が下りていた。本件記事掲載当時は、一月ないし二月に一回程度、一回に長くて五日程度、腰痛のため動けず、新聞を手に取ることもできない状態のときがあった(原告本人八〜九頁)。拘置所においては、新聞は、一日限りの閲読許可しか下りず、したがって、腰痛のため読めなかった新聞を翌日以降読むということはできない(原告本人九頁)。なお、許可なく新聞を切り取ることは禁じられており、懲罰の対象となる(原告本人一〇頁)。

8  以上の事実を総合すれば、原告は、東京拘置所において日刊スポーツ紙を定期講読していた事実は認められないものの、昭和六〇年一〇月から翌六一年五月までの間に同紙の差し入れを相当回数受けたことは認めて妨げない。しかしながら、昭和六〇年一〇月二七日当時、本件記事を掲載した日刊スポーツ紙が原告に差し入れられたかとなると、その可能性は相当程度認められるものの、反対に差し入れられなかった可能性も否定できない上、同日、同紙が原告に差し入れられていたとしても、原告が本件記事を読まなかった可能性も否定できない。

したがって、同日、原告が本件記事を読んだことの立証は十分ではないといわざるを得ず、その他原告が初めて本件記事を読んだと主張する平成四年一月以前に本件記事を読んでいたことについては何らの主張立証もない本件においては、被告の消滅時効の主張は認められない。

四  原告の損害

前記のとおり、被告は本件記事の日刊スポーツ紙への掲載及びこれを掲載した同新聞の頒布により原告の名誉を毀損したものと認められるところ、本件記事の内容、同新聞の性格、その他本件に現れた一切の事情を総合すると、原告が右名誉毀損により受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては金三〇万円が相当であると認められる。

第四  まとめ

以上の理由により、原告の請求は、金三〇万円とこれに対する不法行為の日である昭和六〇年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 相良朋紀 裁判官 大塚正之 裁判官 朝倉佳秀)

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